[原]
おるがん
作詞・作曲:知久寿焼
ぼくが死んだ日
おじいさんは二階の屋根で
古いおるがん弾いてくれたんだ
ふいごのはきだすしずかな音楽は
ぼくの背中のビールスたちにも聞こえてる
ぼくが死んだ日
空はどんどん落っこちてきて
大気圏外 まるで映画館の中
ストローくわえたぼくがみているのは
地球のいびつなうそつきのプラネタリウム
屋根から突き出す巨きな菌類は
ぼくらのかなしい保育園の庭からもみえたよ
ぼくが死んだ日
おじいさんは二階の屋根で
古いおるがん弾いてくれたのに
風船病にやられちゃったぼくの顔は
ぱんぱんだからうれしい顔がちゃんとできない
————
俄羅斯麵包
by たま / 詞曲:知久寿焼
譯:ermine
*無斷轉載禁止*媽媽在烤俄羅斯麵包
廚房裡香氣四溢
以女低音呼喚
正在修理掛鐘指針的我
媽媽在烤俄羅斯麵包
點心向來配特拉普曲奇
姐姐跳著桑巴舞
任茶色的身體扭來扭曲
發現在窗外偷瞧的我
總是將我一把摟住
姐姐跳著桑巴舞
晚上睡在大大的床上
媽媽在叫我
我的名字在山間迴響
姐姐抱著我
永遠那樣該多好
媽媽在烤俄羅斯麵包
[原]
ロシヤのパン
作詞・作曲:知久寿焼
お母さんはロシヤのパンを焼く
台所をいい匂いでいっぱいにする
柱時計の針をなおしてる僕を
アルトの声で呼んでる
お母さんはロシヤのパンを焼く
おやつはいつだってトラピストクッキー
お姉さんはサンバを踊ってる
茶色い体をくねくねさせている
窓からのぞいてるぼくを見つけると
いつも抱きしめてくれる
お姉さんはサンバを踊っている
夜にはおおきなベッドで眠るよ
お母さんが僕を呼んでいる
僕の名前が山にこだまする
お姉さんが僕を抱きしめてる
いつまでもこのままでいたかったのに
お母さんはロシヤのパンを焼く
————
給俺校對的是煮麵和小賣w
知久桑的歌詞,不是詞句難翻是意思難翻。比如說方向音痴和蘭鑄吧,我知道他在說神馬,可是我不知道他要說神馬囧rz
風琴,泡泡龍什麼的太重口了……人家還是喜歡把它理解成金魚就好。那樣悠揚溫柔的三拍子,叫人不禁覺得,要是我死掉的那一天也有人這樣為我演奏的話……既悲傷又幸福。石川桑弄得人家都想敲小軍鼓了orz
俄羅斯麵包,後面那句“いつまでもこのままでいたかったのに”實在太銷魂了,那個過去式搞得人無限傷感,前面明明是如此幸福的一幕。叫人忍不住想,媽媽老了,姐姐嫁人了,我離開了,並不是說一個家分崩離析,而是長大後必然的道路。於是記憶裡的幸福永遠卡在那裡,反复回放,就像貓湯的片尾。
租來定員2人的鋼琴練習室,必死的擠進去給G桑練bass,因而被店裡斥責了。又半夜潛入柳醬隔壁的空屋鬼鬼祟祟的點起蠟燭……於是空屋就傳出奇怪的聲響。
石川小小的的公寓實在擠不下太多朋友了,於是許多人身體躺在屋裡腿都伸出廊下。
柳醬跑來說,一起打麻將吧。
……後來柳醬離開了,後來大家都離開了。有點無奈,可也沒關係。
那時是多麼快樂。
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